借り物の知識と洞察を我が物として開陳するな
2026/9/5
LLM(Large Language Model、ひらたくいうと文章生成AI)に聞いて知ったことをさも前から知っていたかのようにしてSNSでひけらかす人がいる。明らかにドメイン知識に対してその人の理解度や思考力が追いついていないのに、やたら深い洞察を投げてくるものだから、わかる。今知った概念ならそう言ってくれればそれなりのレベルに合わせて話が出来るのに、背伸びしすぎて身の丈に合わない会話を自ら始めてしまう。あたいはこの知識と知恵に対する異様なまでのプライドが嫌いだから、それをへし折ってやるためにわざとLLMさえ知らないようなもっとニッチなドメイン知識を引き合いに出して、LLMを使えない状況に追い込むことがある。あたいはそのとき怒っているよ。
自分に残されているアドバンテージは知識しかない! と思い込んで知識の収集にかまけてしまうタイプがこうなりやすい。自戒。知識って一見すると自ら動かなくても得られるもののように見えるからね。楽に集められると思ってるんだよ。実際はアウトプットして初めて理解を得られるのに。
でもこれは今に始まったことじゃない。AIが台頭する前から、検索でたった今知った知識を前から知っていたようにひけらかす人はいた。LLMによってそれが悪化しただけ。
LLMは知識だけでなくその場の洞察も与えてくれる。ある程度の理解まではそれで追いつけるかもしれないけれど、LLM、とりわけ合成データを多分に含んで平均に近い回答に寄り始めてしまったものの出すアイデアは平均に近い。これでは凡庸な発想にとらわれることになる。
恐ろしいのは、LLMにのみ頼って知識を得た分野ではそれに気づけないこと。自分がどれだけつまらないことを言っているのかわからない。おもしろくあれとは思わないけど、1+1は2だっていきなり人から言われても、はあそうですかとしかならない。これは創作から最も遠いできごと。この罠があるせいで、AIを使って創作をしてみましたって言ってる人のほとんどは創作なんかやっていないことになる。
抽象的すぎるから具体に落とし込んでみよう。これが具体的に創作物にどのようにして現れるかってこと。小説ではオチも展開もない、何も言っていないに等しいただの単語の並びが生まれる。別に雨なんか気にしていないのに突然主人公が雨について考え出して、「私は雨を漫然と憂鬱だと思い込んでいるが、実はそうでもないのかもしれない。傘を差せば少なくとも上半身は無事でいられるし、傘に雨粒の当たる音は耳を澄ましてみれば愉快なものだ」みたいな。これを起点にして雨の中を歩いてみようと思い立ち、歩く中で様々な発見をするに至るのならまだいいんだけど、そんなことはない。ただ前から歩く予定だった雨の中を歩いて終わる。それじゃ何も言ってないのと同じだよね。これだけの文を作ったのに主人公の何も表せていないじゃないか。終始こんな感じになる。
絵では? こだわりのない、描き込みが均一でどこに注目してほしいのかもよくわからないマスピな女の子の一枚絵ができあがる。お前はその女の子のどこが好きなの? なんかこう、あるでしょ! 身長に対してまったく釣り合ってないとんでもない巨乳がその人の手で歪められてるのが好きとかさ! 瞳だけをビビッドに描かせてみたいとかさ! 手描きだろうとAI生成だろうとそういうこだわりが感じられない絵になんの価値もないよ! 一体何を表したかったのさ!
(まあAI生成物にいくら文句を言っても平均からは抜け出せないから無駄)
AIを全く使わずにドメイン知識や表現を学ぶか、むしろAIを使い倒して高濃度の理解を得るか。中途半端はだめ。あたいは大まかで平均的な部分をまずAIに教えてもらって、それから掘り下げたい部分を自分で考察したり書物を漁ったりして理解するようにしているよ。そうすると、AIの知識やネットに転がっている知識がどれだけ浅いものなのかということに気づかされる。ネットってネットにしか詳しくないんだよね。
小説なら、AIに基本的な作法を教えてもらって、あとは人の書いた小説を読みまくって参考にする。参考は多いほど良い。少ないほど悪い。少ないと元ネタがそればかりになってしまって、結局元ネタの超劣化版しか生み出せない。
(小説も苦労しないで書けると思われている節があってとても嫌だけど、話が逸れるので省くよ)
労せずして何かを得られると思い込んでいる点で、たった今知った知識を即開陳する人と、お粗末な生成物を公開する人は一致する。苦労して勉強や創作をしろと言っているんじゃなくて、勉強や創作をすると苦労するよっていう話。彼らの精神性はスクリプトキディに通じるものがある。他人が生んだ力を自分の力と誤認して賢しらに振る舞うからね。
あたいが嫌っている精神性の話でした。